病気の悩み 身体の苦しみ・心の苦しみ - NLPインテグラルアソシエーション

NLPセラピーサービス:病気の悩み 身体の苦しみ・心の苦しみ

病気の悩み 突然、難しい病気になってしまったら
病気になってしまうと身体が弱ってしまいます。
身体が弱っていると心も弱ってしまいます。
新しい答え、新しい自分を発見していくためにできることとは?

身体の苦しみ・心の苦しみ

  • 思いがけず、難しい病気になってしまった。
  • アクシデントで、それまでの健康を突然、失った。

そんな時、人は身体の苦しみだけでなく心の苦しみも背負います。

「眠っていて意識のないあいだだけが救い」
「世の中の幸せ全てが憎い」
「死ぬことしか考えられない」
「後悔で身が引きちぎられそう」

様々な、心の暗さに迷う時間が、そこにあります。

その時間の苦しさは、経験した方なら分かるでしょう。

しかし、それは行き止まりの道では決してありません。
「通り抜けることのできる道」です。

では、どうやったら通り抜けられるのでしょう?

私は、
「何かのアクシデントに遭遇したとき、割と早く立ち直れるケースと立ち直れないケースでは、何が違うのだろう?」
と長年疑問に思っていました。

図らずも、その「答え」を自分自身の病を通して見つけることができました。

そのいくつかをご紹介します。もちろん、これが全てではありません。
他ならぬ「自分自身」で、新しい答えをいくつも見つけていくことができるはずです。

病気がなかなかよくならない


【病気を治したい】の更にその先をイメージできますか?

誰でも病気は治したい。
でも、「病気を治すことだけを目標に据えてしまう」と、
何だかうまくいかない場合があります。

徒競走で、「ゴール直前にスピードが鈍る」そんな経験はないでしょうか?

ゴールの更にその先を見て走ることによって、
最後までスピードを落とすことなくゴールを颯爽と
通り抜けることができます。

病気の回復は、最終目標ではなく通過点。
そう、考えてみませんか?

それに・・・
「病気の治癒というゴールにやっとたどりついたけど、
ついてみたらそこには何もなかった」では、ガッカリですね。

また、
病院に行ったり、治癒をすることも、手段として必要であっても、
それ自体が生きる目的では決してないですものね。

『病気が治ったら、どんな風に生きてゆきたいのかを明確にする』
自分の夢をはっきりさせていきましょう。

<心身論理レベルという手法などを用いて一緒にやっていきます。>

病気が治ったら幸せなのか、幸せだから病気が治るのか?
仮に、
「私は病気が治るまでは絶対に幸せにならないぞ!」
と決めたとしましょう。

どうでしょうか?これで健康になれるとは、とても思えませんね!
だって、すごく不健康なことしていますから。

『健康になりたければ、健康なことをする』

とは言っても、
苦しいさなかでは、それを実行すること自体、困難な場合が少なくありません。

そこで、こんな時こそ・・・
どんな時でも健康な生き方を実行できるテクニックを身につけていきましょう。
<アンカーリングというテクニックなどを、くり返し練習していきます。>

病気の苦しみを乗り越えるためには?

幸福論、健康論をいろいろと説かれても、
病気の苦しさの中では、それらは役に立ちませんよね。

だって、苦しいんですから、今!!

溺れているその横でお説教されても、申し訳ないけど邪魔なだけ。
お説教を聞くことに気をとられていたら、力をそがれて溺れちゃうんです。

苦しさを乗り越えていくために必要なのは、何よりも強い「力」です。

『苦しみを乗り越えるには自分の全力が出せること』

自分の中の葛藤や迷いをそのままにしておくと、力が分散してしまいます。
右手は右岸へ、左手は左岸へ行こうとしていたら、
どんなに泳ぎ続けても、水から出ることはできないのです。

自分の力をひとつにまとめて、「最強の自分」になっていきましょう。
<フォーカシングをいう方法などを用いて、自分で自分をひとつにまとめあげていけるようになります。>



医者に「治らない」と言われてしまったら?

私もかつて、
「気の毒だけど、何もしてあげられることはない」
と医師から宣告された経験があります。

「治らないんだ」-そう自分で思い込んだとき、
「ああ、自分はこれから死ぬまで苦しみ続けなきゃならないんだ。
そんなの耐えられない。それならいっそ、死んで一刻も早く楽になりたい。」
そう思いました。

「治らないものは仕方ない」

そう腹をくくって生きていく方法もあるとは思います。

ですが、その一方で、「良くなっていくかもしれない」という可能性を信じることを自分に許すのか、それとも「絶対に良くならない」と決定を下すのか、それだけでもずい分、生きていく上で差が出ることもあると思います。

しかし、いずれにしろ・・・
『「治るか治らないか」それよりもっと大切なものを、人は見つけることができる』
私は今、そう確信しています。

そして、その時、人は本当の意味で病を乗り越え、真の人生へ歩みだしていく・・・そう感じています。
<一緒にリソース探しやチャンクアップという方法などを行ないながら、本当に大切なものを見つける、宝探しの旅に出ましょう。心の旅を楽しむための「地図」も作っていきます。>



病を超えて、人生を謳歌している人の実例

少し長くなりますが、ある人の例を紹介します。

彼は数年前、糖尿病で視力を失いました。
その時、本気で自殺を考えたそうです。
でも、実行できませんでした。

「目が見えないから、首をつるためのロープを用意することさえできなかったんだ。-自分は死ぬことさえできないんだ-そう思い知ったときから、生きることを考えるしか、なくなったんだよ。」

その後、入院生活中に、ふとしたことから彼はある夢を見つけます。
ですが、その矢先、彼はそれまで八度も目の手術を繰り返していたのですが、
「もう、うちでは手に負えない」と、病院から放り出されてしまったそうです。

彼は、あきらめずに良い医者を探しました。

その甲斐あって、とても良心的な医師にめぐりあい、目の再手術。
その医師は、自分のお休みの日も、彼の様子を見に病室まで来てくれたそうです。
また、同じ病院内の内科医の指導で、糖尿病の方もだいぶ落ちつきました。
人間の治癒力を大切に考えている医師でした。

しかしそれでもやはり、目の方は、ボーっとした光を感じることはできたものの、物の輪郭は分かりません。
「これ以上は良くならないでしょう。」
医師から、そう告げられました。

退院後、彼は入院中に見つけた自分の夢を、実行に移しました。
「喫茶店」の仕事です。

入院中、他の患者さん達にお茶を入れ、色々話をきいてあげたらとても喜ばれた・・・というのがきっかけでした。
-お茶の時間を通して人を幸せにする-
それが、彼の夢でした。
「これが、次の俺の人生だって、そのとき思ったんだよ」

最初からお店を持つことはできません。

彼は、駅前の小さなスペースに、パラソルとテーブルを置いてお客さんを待ちました。
青空営業から始めたのです。
見えない目でお茶を入れ、お客さんをもてなす。
全部、自分ひとりでやります。
その姿にお客さんは勇気づけられ、そして彼自身もその仕事を楽しんでいました。
営業がお休みの日には、ボートレースに参加したり、ライブでボーカルとして活躍したり・・・。人生をめいっぱい楽しんでいる彼は、いつ会っても笑顔です。
「俺だって目が見えるようになりたい。だけどね、それを願うのは一日一回だけって決めてるんだ。だって、やりたいことが沢山あって忙しいからね・・・。」
-彼が、青空営業をはじめてから一年。
彼が私に言いました。

「医者に、奇跡だって言われたよ。」

-なにかあったの?
「視力が戻ってきてるんだ。前は光があることしか分からなかったけど、今はあなたの顔の輪郭が分かるよ。・・・医者にはもう良くなることはないっていわれてたけど、俺、どっかであきらめてなかったんだよね。」

その上、糖尿病の方も、医師と相談の上、インシュリンを使わなくて良い状態にまで回復したのだそうです。

これは、普通、あまりないと考えられていることだと思うのですが・・・。
(もちろん、これを読んだからといって、現在インシュリンを使っている方が、突然使用をやめるようなことは絶対にしないで下さい!)

それから、更に一年。
彼は、ヨガのインストラクターを始めることになりました!
彼はどんどん、健康になっているように見えます。
もしかして、彼なら、本当に完治してしまうのでは-?
そんな気さえ、最近はしてきました。
しかし、もし仮に、彼が完治はしなかったとしても・・・。

「病気が治るとか、治らないとか、もう、そういうレベルのことじゃないんだよ」

彼の人生そのものが、そう語っているように私には思えます。



命の期限を切られてしまい、不安や混乱で何も手につかない。


本当に、自分の命が終わるのだ、とつきつけられた時。
これは、100%、経験のない人には分からない世界だと感じられます。
誰にも分かってもらえない世界、その中で、一人、噴出してくる様々なものを受けとめなければならない。

人生最大の、そして、もしかしたら最後になってしまうかもしれないピンチ。
しかし、その噴き出してくる様々なものたちの底の底に、たとえうっすらとであったとしても、決して消えない輝きを放つものが、必ず、誰にでもあります。

パンドラの箱、という物語をご存知でしょうか。
-「ありとあらゆる災いが詰まっている」という箱のふたが開かれてしまったとき、その災いはすべて世界中にひろがってしまった。しかし、箱の底にたった一つ、「希望」が残った。だから、人間は、どんな困難があっても生きていけるのだ-

というお話です。

昔、このお話を読んだとき、私は、「よく分からない話だな」と思いました。なんで「災いの詰まった箱」に「希望」という災いでないものが一緒に入っているのか。そしてまた、災いが世界に広がったのに、何で希望だけが箱に残っているんだ、とか。

とにかくわからなかった。

しかし、自分自身が死の瀬戸際に立ったとき、私は忘れていたこの物語を思い出しました。
「パンドラの箱は、人の心だったんだ」と。
絶望の底に立って初めて、人は「自分の本当の希望」に気づくことがあります。
私の場合、やりたいことは何でもやってもう悔いはないと思っていたのに、「本当に死ぬんだ」と思ったとき突然、霧がはれていくように心の底にあらわれた希望。
それは、「友達ともっと一緒にいたい」ということでした。
-これは、人によって様々です。

子どものために生きたい、やり残した仕事がある、もう一度会いたい人がいる・・・。
どんな内容であるにしろ、その光をしっかり見つめていくと、やがて、恐怖や絶望が小さくなっていきます。

そして、人は行動を起こします。

生きるため! 希望をかなえるため!

生きるために、希望をかなえるために・・・。
そこには、もしかしたら治療のための最新の情報との出会いや、奇跡的な治癒、といったものがあるかもしれません。

あるいは、やはり寿命自体は変わらなかったとしても、それでもそこには、心の光と共に生ききる「幸福な時間」があります。
それは、何ものにもかえがたい、「人生の宝」です。

『最高に幸福な時間を一緒に創っていきましょう』

-「生きる希望」は生まれた以上、必ず全員が持っているものであり、本来、絶望という影が強くなればなるほど、「希望」はその輝きを増していきます。
それが、生命力というものの働きだからです。

あなたの恐怖や不安をしっかり受け止めてくれるセラピストと共に、何より自分が、一番の自分の理解者になってあげられる時間を持ちましょう。
その中で、深い安心感、一体感、そして希望を、感じることができたなら・・・。

あとは、もう、「生きるだけ」です。

ご相談フォームへ